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一般社団法人 朝倉氏遺跡保存協会

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▼ごあいさつ | ▼歴史 

ごあいさつ

当サイトへのご訪問ありがとうございます。

「歴史の里」朝倉の地は、特別史跡・特別名勝・重要文化財と全国5例目となる国の三重指定を受けた貴重な戦国城下町跡で、義景館跡の唐門を中心に遺跡一帯が昭和42年からの発掘整備により平面復原及び、忠実に復原された町並を散策する事で戦国ロマンを満喫し往時を垣間見る事ができます。

近年は、携帯電話のCMでお馴染みの“白い犬のお父さんのふるさと”として放映された事から、多くの若い方々にも全国からお越しいただいております。復原町並では、スタッフが戦国衣裳で皆様をお迎えし満足度向上に務めており、戦国衣裳着付体験も大変好評です。

尚、1573年朝倉の地が三日三晩の炎によって終焉後、本年節目の450年で「今、甦った城下町跡」です。

今後とも、一乗谷朝倉氏遺跡をどうぞよろしくお願いいたします。

※ 一般社団法人 朝倉氏遺跡保存協会は
 「福井市一乗谷朝倉氏遺跡復原町並」の指定管理者です。

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歴史

朝倉氏滅亡から保存協会ができるまで

天正元年(1573)   一乗谷焼失 一時的な町の再興が見られた
天正3年(1575)   柴田勝家、北の庄城築城開始 一乗谷は急速にさびれ、水田化
享保5年(1720)   福井藩主松平吉邦により「越前国古城跡併記并館屋敷蹟」編纂される。(一乗谷の地表面からの初期の調査報告書)
大正10年(1921)   上田三平(福井県内務部委託)による「若狭及越前に於ける奈良朝以後の主なる遺跡」に「一乗谷城址」の詳細報告あり、その中に「一乗谷城戸外の遺跡」として一乗谷全体を遺跡としてとらえる発想が見られる。
昭和5年(1930) 7月 義景館跡と湯殿跡・諏訪館跡・南陽寺跡の3庭園1.4ヘクタールが国指定史跡および名勝に、安波賀町の西山光照寺跡1.6ヘクタールが史跡に指定された。
昭和42年(1967) 8日 「朝倉氏遺跡整備事業委員会」を当時の足羽町が中心となって設置。発掘調査の開始。
  12月 指定面積6.8ヘクタールに拡大
昭和43年(1968)   館跡の発掘調査開始
昭和44年(1969)   遺跡の危機!一乗谷地区の土地改良事業開始。
昭和45年(1970)   遺跡指定外の東新町地区で工事開始。大量の異物露出 そのころ、「朝倉始末記」の編集をおこなっていた金沢大学井上鋭夫教授の現地調査をきっかけとして短期の発掘調査。地下の良好な遺構の存在を確認。
昭和46年(1971) 1月 城戸ノ内地区の土地改良事業中止。平地部の公有化。
  7月 指定面積7.2から278ヘクタールへ拡大。国の特別史跡に格上げ指定。
昭和47年(1972) 4月 「教育庁朝倉氏遺跡調査研究所」を設置。
昭和47年(1972) 7月 城戸ノ内町の住民全戸で「社団法人朝倉氏遺跡保存協会」を発足。遺跡に住む地区住民の団体です。
昭和56年(1981) 8月 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館が開館。研究所の業務をも引き継ぐ。

注:上の文章は平成9年(1997)福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館発行の
  「眠りからさめた戦国の城下町」P17〜18を簡単にまとめたものです。

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