たたら講演会(1997.9.27)
会場:金津町社会福祉センター 日時:9月27日夜7時〜9時
主催:金津たたら研究会 後援:金津町教育委員会・福井新聞社
{内容}
開会挨拶:坂本豊金津たたら研究会名誉会長(金津町文化財保護委員長)
講 師:藪下昇一金津たたら研究会員
演題「古代製鉄の謎に挑む--- 地名は古代を証明する ---」
かんなながし(鉄穴流し)実験(1997.4.13)
加賀市黒崎には、砂鉄で黒くなっている浜がある。春の一日会員が、砂鉄と硅酸質砂が鉄穴流しにより選別されることの実験を行なった。
第4回たたら実験の記録(1997.1.1)
金津神社で初の奉納たたら製鉄、初めて成功。この当時、出来たケラは貴重なものである。
第3回たたら実験の記録(1996.8.25)
加賀市黒崎で横井先生の指導のもと、横井式オイル缶3段炉で成功。
{指導を受けたことがら}
砂鉄は純砂鉄になるまで磁選すること。更に磁性砂鉄でも、磁鉄鉱系とチタン鉄系があり、磁石を離して強磁性の磁鉄鉱を使うように。
ノロが粘りすぎる場合は、珪酸砂を入れる。
第2回たたら実験の記録(1996.7.14)
失敗! 極小量の鉄が生成したのみであった。
ブロアーは、今回はスライダック40〜50Vで使用した(前回はスライダックなしで100V)。反応温度の低下に気付かず、一度、炉が閉塞した後、加熱しても最後までノロが炉底に落ちなかった。下部炉の中程でノロが出てきた。
見学参加者 30名
原因は、
@風量不足、A温度確認の手段が(番線のmp1530゜C)のみであった。
2)これは、下部炉の形状に問題があり、
一端炉が閉塞した場合、次の工程が続けられずに、最後までノロが炉底に落ちなかった。
{今日2002年からみたコメント}
横井式オイル缶3段炉で、200gの砂鉄と300gの木炭を約2〜3分間隔で入れるのが標準的操業である。
このときの砂鉄投入間隔は初回10:35、第8回11:15となっており、この40分間に7回投入で、5.7分に一回投入となっていた(炭が落ちていかないという印象があった)。風量は25〜45V(家庭用100V電源)であった。2002年の今日では60〜70Vぐらい使用していることを考えると、風量不足で、炉温度が上がらず、炉底にノロが溜まらないか、熔けてもすぐ冷える、熱量の少ない操業であった。
もちろん、鉄番線火花の温度モニタは実施していたが、「温度を高くしすぎると良い鉄ができない、ダメ」とのフラストレーションもあったと、思う。
第1回たたら実験の記録(1996.3.31)
'96.3.31 大森宅(陶彩窯の前)で朝から昼までたたら作業
'96.4.1 炉の解体
'96.4.1 今後の方針の会議(石膏で下段炉内を固め、炉の断面を取る)。ノロの中の小鉄塊は金ノコ歯では切れず。
'96.4.27 磯貝電気(中川)で、炉を縦に切断。非常に硬くて脆い部分(多孔質構造の黒い塊 Si?)がある。ケラ鋼は切断され、光る。切断時に、窒素とFeSi系化合物?の臭いがした。
{後日の検討}
@鉄の塊が最高2cm径で、それもノロ固まりの中から分離した。殆どが、小さな塊であって、たたら操業時ノロから採取したものと変わらず。
A塊が、炉底部に集合しなかった。鉄とノロの分離が不十分で、生成したノロとともに逐次、鉄が排出されてしまった?
結論:ノロの泡構造と小さい鉄団塊が生成し、炉底に丸く集合せず炭隙間で生成した形をとどめる鉄塊があることから、製鉄過程は成功で、鉄の凝集とノロ分離に難点があった。
原因:@炉底温度がノロ分離に不十分?(風量と炉底温度) A炉構造が分離に不適切? B炭(固層)がノロ層(液層)と混合し、鉄の集合を妨害し塊が生成せず?
'96.5.1 福井県工業技術センタ−からのアドバイス
金属顕微鏡写真では、a:ノロからの鉄、b:下段炉の炭層とノロ層との接点の炭層最下段の鉄
a、bともにパ−ライト構造が顕著で、グラファイトが貫入している。
[その他の情報] @小浜の野尻銅鉱山(同様、能登にも)の鉱さいを焼いてベンガラを取り、瓦ユヤクとして使った経緯がある。A(昔、戦中か戦後直ぐ)石川野々市あたりで、タタラ工場(大北工業?)があり、炉底から一気にノロ・ケラの混合体を、段々になった所へ一気に流し込み製鉄していた。
次の製鉄のために
1.砂鉄の採取(前回同様の砂鉄の確保)
2.炭の購入
3.貝殻の確保
4.投入組成(今回同様)
5.炉の確認(事前に量関係を確認)
6.ブロア−の風量
7.投入(製鉄)時の炉構造について検討(特に、下段炉)
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